師弟門

この門は、故持田盛二範士(1885-1974)の住居の門を移築したものである。

かつて、この門をくぐって月一度教えを受けに訪ねて来る望月正房先生(1915-1989)に、範士はおっしゃったそうだ。

「ゆっくり、ゆっくり、急いじゃいけないよ。争っちゃいけないよ」と。

望月先生をはじめ、範士に教えを受け、身近に接してきた多くの先生方にとっても懐かしい門であったことから、 この門を「師弟門」と命名した。

門は、持主奥村氏のご好意により、東京音羽から白州正心館に移され、地元棟梁鈴木直彦氏の手で修復完成された。

「この門には樹齢百年以上経った木曽檜で良質な材料が使われている。今でもぷーんと香ってくる。 百年の木を使ったら百年以上使える仕事をしなきゃ木に申し訳ない。」(鈴木棟梁談)

移築経緯
平成十一年十一月五日  門解体
 同十二年 三月八日  移築作業開始
 同十二年六月二十五日 門修復完成
 同十二年七月八日   門除幕式

平成十二年七月八日 正心館道場館長 蓑輪 勝


平成十二年、師弟門の除幕と移築記念式典に、野間道場師範であられる森島健男範士も駆けつけてくださいました。


森島健男範士もこの門を何度もくぐり、持田盛二範士に教えを受けに訪ねられたお一人。
「師弟門とは心憎いほどの命名だ」と森島健男範士はおっしゃいました。
本当に懐かしそう・・・。


移築記念式典では、森島健男範士からありがたい教えも頂きました。


武田信玄の菩提寺恵林寺の屋根葺き替え時に頂いた瓦に「師弟門」の刻字。
瓦に彫るのはとっても難しいのだそうです。
村上修一先生刻字

持田盛二範士

「昭和の剣聖」と呼ばれた剣道家。段位は範士十段。流派は北辰一刀流、法神流。
先祖は戦国時代に剣聖・上泉信綱らとともに上野国箕輪城主に仕えた持田監物。
父も剣道家で自宅に道場を設け指南していた。
盛二も父の指南を受け剣の道に入り、42歳の若さで範士にまで上り詰め、
京都府警察部剣道教師、千葉県警察部剣道師範、東京高等師範学校講師、朝鮮総督府警務局剣道師範、講談社野間道場師範を歴任した。
1929年に行われた天覧試合で優勝したことによりその名を広め、1957年には全日本剣道連盟から剣道十段を授与された。
1964年に開催された東京オリンピックの開会式では、斎村五郎とともに剣道界を代表して演舞を披露した。
持田盛二の弟子である野間恒、望月正房が、昭和9年と15年の天覧試合で優勝している。
強さだけでなく気品を兼ね備えた人物で、80歳を過ぎてなお現役選手を寄せ付けないほどの強さを保っていたという。